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SFRS LSM-337 レザインⅠ級航宙輸送艦 era2後期、ソレグレイユ軍が旧世界遺物のデータを元に開発した宇宙艦。 輸送艦と銘打ってはいるが、黄金の20年後期に行われた魔法素技術の試験運用のための改修によって、 魔法素砲や対空砲を始めとする十分な武装を搭載することとなった。 建国以来、旧世界遺物の解析を進めてきたソレグレイユは、 領内に残った遺跡の一つ『ランガト遺跡』の発掘調査の際、 偶然にも稼動状態にある旧世界の小型宇宙艇を発見した。 この発見の報せに軍をはじめ多くの国民が沸き立ち、さらなる発展への期待が否応なしに高まった。 そうして兵器産業省兵器開発局によって試作された小型宇宙艇の稼動データを元に開発されたのが本級である。 単艦で大気圏を脱出できる推力と、完全武装の兵員一個師団、殲滅特化型重機装化騎士20名に、 次元戦闘機6機を搭載できる輸送能力を兼ね備えている。 era2期の艦艇としては比較的大型の部類に入る。 随伴する小型艇はウェランⅡ級連絡艇で、小規模人員輸送など多用途に用いられる。 画像は完成したレザインⅠ級3隻すなわち『レザイン』『ワイアス』『アレンヌイ』の試験航行の様子で、 奥の惑星は旧世界においてルベディ・ウヌスと呼ばれた赤鉄の惑星である。 しかしこの艦隊はルベディ・ウヌスに着陸することは出来なかった。 "次元の壁"の存在が邪魔をしたのだ。 旧世界の人類によって次元航行が確立された頃、丁度地球周辺宙域に"次元の乱れ"が生じ始めていた。 逆に言えば旧世界の人類が次元航行という技術を確立させた一つの要因が、この次元の乱れ、 すなわち地球上の各所で巨大な惑星が上空に出現するという現象の解析なのである。 ジャッジメントデイ以降もそれは続き、主に『オールグリーン』の多くの地域で 所謂“惑星信仰”が生まれることとなった。 この結果は、これ以降のソレグレイユの宇宙開発技術にさらなる発展をもたらした。 しかし、それにもかかわらずソレグレイユの科学者たちは、唇を噛んで悔しがったという。 長い間追い求めてきたものに、すんでのところで届かなかったからだ。 そしてまた、この結果がソレグレイユの久平に対する疑念を、さらに強めてしまったのである。 外宇宙から忍び寄る巨大な影は、まだその姿を見せてはいなかった。 ―性能諸元― アサント社製42口径中型連装高角砲 42基 レウト社製八連装対空噴進弾発射管 6基 ワルナー社製78口径三連装魔法素砲 8基 動力 スクラウディック社製 エイヴァル・ランガトGE-355A推力三連変動式 2基 『何故だ!?何故辿り着けない!! 私はこの研究に命を賭けた! なのにまだ、何が足りないというのだ!!!』 ―――ある老科学者の手記より era2 era3 ソレグレイユ 兵器 技術
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人工アブダクター「輸送」タイプの筐体から取得できる資源「金属合板」の「輸送甲型」タイプ。 入手方法 ボランティア 第2情報位階権限 任意:シ2-5号作戦:目標排除 任意:サ2-6号作戦:市民奪還
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基本設定 上級 討死無し 妖術無し いにしえ、追加武将有り 登場仮想 他史実設定 縛りルール 姓がリュウ,カン,チョウ,コウ,バ,ホウ,ショカツのみ登用可能 部隊の主将は姓がチョウ、カコウ、また、ホウ統のみ 輸送隊は上記の対象外 敵将処断が出来るのは三回以上捕らえてから可能 停戦は3ヶ月までとし、停戦が切れた勢力とは以降半年間停戦不可 第7話 256年1月南皮の内政もだいぶできてきたので南皮の人材探索開始 いにしえ武将の王翦、申儀、陶謙、李湛、張角を発見 勿論張角は登用彼は妖術無しでもかなり優秀ですからね。 仁政か能史を着けようかな。 2月計算外な事が起こる。 書くまでも無いと思って書いていなかった1月に晋楊から薊へと出撃した部隊が真っ直ぐ薊へと向かってきた。 急いで手の空いていた張紹を薊にむかわせる。その2ターン後に内政から戻った 張飛、韓信、張良、厳顔を薊に移動させる。 土塁一ヶ所と壁役の張紹が破壊されるが何とか晋楊から来た部隊を全滅させた。 その際にトウ艾を捕らえるが未だ、1回目なので普通に解放。 張飛「ちと、ヒヤッとしたぜ。」 ホウ統「兵力も減ってしまいましたし少し、薊で徴兵等をしてから南皮へ参りましょう。」 張飛「そうだな」 張紹は南皮へ防衛施設設置に向かわせそれ以外の将は各都市に2名ずつ留守番後は薊に集める 名声の夏侯玄がいるので早々に47000の兵力になった。名声万歳 これだけ居れば良いだろうと南皮へ移動させ、今度は南皮の兵力充実を図る。 そして‥‥ 256年11月11日孔融の治める平原攻略に出陣。 何時ものように衝車を先発させ、20日後に本隊出陣 部隊は下記の通り 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵11000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)槍兵8000 張氏(昂楊)+張儀(論客)+呉班()槍兵8000 ホウ統(連環)+張良(神算)剣兵6000 張遵()+厳顔(弓将)弩兵8000 夏侯氏(看破)衝車6000 夏侯玄(名声)衝車6000 張紹(築城)衝車8000 計61000 対する平原は12000また、袁紹軍の顔良5000が平原攻略に来ていた。 袁紹軍の顔良と孔融軍の白起をホウ統隊の連環+神算で一気に混乱させ撃破する。 ここで少し、問題発生。 張飛「カンは登用可能だが濁点の有る無しはどうすんだ?」 ホウ統「‥‥‥‥‥‥‥どう致しましょう?濁点の有る無しは顔良と波才のみですからなぁ 可能でも構わないと思います。」 張飛「まあ、とりあえず牢にぶちこんどけ。」 袁紹軍の顔良とついでに捕らえた副将の全ソウを捕虜に。 2月また、晋楊から薊へとトウ艾軍の文鴦が出撃してくる。 薊に張角を派遣しておく。 3月1日平原攻略孔融滅亡 関銀ペイ、孔融、韓浩、夏侯恩、夏侯恵を登用 残り17名は捕虜にしてから解放 袁紹軍の全ソウを合わせて18名の解放で技巧ポイントが67ポイント入る。 3月21日晋楊からの部隊が真っ直ぐ薊へと向かってきたので 急ぎ張飛、韓信、張良、ホウ統を薊へと移動させる。 土塁、連弩のおかげでそれほどの被害は出ずに5月までには撃退。 5月11日遂に平原に向けて奴等が出撃してくる。 張飛「孔明の野郎、もう河北に手を出してきやがった」 ホウ統「北海の兵力は30000ほどですから、 ちょっとした牽制でしょう」 牽制、もしくは先発隊の諸葛亮軍の2部隊を撃破 9月今度は僕陽から袁紹軍が平原へと兵を向けてくる。 10月また、袁紹軍の部隊がまだ撃破できていないのに また、諸葛亮軍の北海から18000の兵が平原に向けて進軍してきたと情報が入る。 張飛「こりゃ、たまんねぇなぁ。頼むぜ張儀」 張儀「はい、全力を尽くします。」 諸葛亮軍に3ヶ月の停戦を申し込む。舌戦相手は勿論孔明。 負けかけたが最後まで残した逆上がうまく発動して何とか勝てた。 張飛「良くやった!張儀!士元先生!次、いくぜ!」 ホウ統「はい、参りましょう。」 平原の東は停戦となり、西のギョウ、南の僕陽は兵力が10000しかいない。 いよいよ、トウ艾のいる晋陽攻略作戦開始。 トウ艾はギョウは袁紹軍に奪われ、晋陽は度重なる薊攻略失敗で 兵力は8000に満たない今を置いて無し未だ、 薊に武将が揃ってないが時間もないので 今いる武将たちで何とか部隊を編成して出撃。部隊は下記の通り 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵11000 張氏(昂楊)+夏侯氏(看破)槍兵8000 ホウ統(連環)+張良(神算)弩兵6000 夏侯恩(射程)+夏侯玄(名声)弩兵6000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)+関銀ペイ(血路)槍兵8000 けい37000で出撃 2度ほど1800ほど率いた文鴦の部隊が迎撃に出てきたが一蹴する。 平原には張紹、張角、張遵、厳顔を留守番に残しておく 僕陽から7000の部隊が平原に向けてゲキハスル度に向かってくるためだ。 3月未だ、晋陽攻略作戦が終わらないなか諸葛亮軍との停戦が切れる。 袁紹軍と諸葛亮軍を同時に相手しなければならないのかと恐怖を感じたが 北海の諸葛亮軍は僕陽に向かっていく。 今のうちに平原の内政施設が襲われないように火船を設置しておく。 6月少し、時間がかかってしまったが晋陽攻略成功トウ艾滅亡。 夏侯惇、留略、波才、張緝、諸葛緒登用、 他解放。間違えて三度以上捕らえていた文鴦まで解放してしまった。 夏侯の2強の1人夏侯惇の獲得は非常に嬉しい。是非騎兵隊でかつやくしていただこう。 また、袁紹軍の夏侯威を勧誘する 劉表「どうかお願い致します。」 夏侯威「参りましょう。」 絶対数は少ないが少しずつ充実してきた気がする。 夏侯惇獲得は非常に嬉しい。 技巧の騎馬は最初からレベル3なので彼には騎兵隊として大いに活躍していただこう。 259年5月諸葛亮軍が僕陽、北海から平原へ攻めてくる 神火計を持っているので3マスさきから仕掛けてくる火計攻撃で内政施設が被害を受ける。 常にホウ統+張良、張苞+諸葛誕、張氏+関銀ペイ、張紹、張遵+厳顔+留略が迎撃に駆り出されて大変。 それでも、南皮にて戦力を整えいよいよ、袁紹軍のいるギョウ攻略作戦へ 袁紹は諸葛亮軍に僕陽、陳留を奪われて最早ギョウのみ 諸葛亮軍にギョウも攻められ風前の灯火。 諸葛亮軍にギョウ、袁紹軍の人材を与えるわけにいかない。 12月11日ギョウ攻略作戦開始。部隊は下記の通り 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵12000 夏侯惇(騎将)+張緝(金剛)騎兵9000 夏侯威(心攻)+夏侯恵(待伏)騎兵7000 夏侯恩(射程)+夏侯氏(看破)井闌7000 張既(親羌)+韓浩(屯田)井闌6000 張角(仁政)井闌6000 計47000 対するギョウは12181とギョウを攻めている諸葛亮軍5851 2月平原の戦いである男を捕らえる。 張飛「三度目だな賈クよ」 賈ク「‥‥‥‥」 張飛「あばよ」 賈ク「我が人生に悔いなし」 3月11日ギョウ攻略袁紹滅亡 夏侯覇、夏侯和、夏侯令女、管仲、韓筥子、韓忠、顔良、高覧 張昭、張承、張バク、劉劭、劉丞登用 他一名を除いて捕虜にした後解放。 文ペイ「これがそれがしの死か‥‥‥」 待望の能史管仲。内政のエース張昭、夏侯4兄弟の夏侯覇、夏侯和 と素晴らしい戦力が手に入る。 また、張昭は何故か能史が付けられていた。これで、武器製造がはかどる。 4月1日諸葛亮軍に停戦3ヶ月を申し込む。 また、逆上が良いところで来てくれたので勝利。 これで、平原は一息いれられた。 張飛「さて、次が問題だな。」 ホウ統「北海、僕陽、陳留ならば陳留が宜しいかと。」 張飛「なぜ?」 ホウ統「許昌の関羽軍とは同盟中なうえ、 洛陽の呂布軍とは激しく戦っているので。 また、諸葛亮軍の小沛は今、孫堅軍との攻防戦をしております。」 張飛「成る程。そうしよう。」 第8話諸葛亮軍との全面対決 11月1日陳留からギョウへと進攻してくる部隊があると情報が入る。 張飛「よし、返り討ちにしてそのまま、陳留に攻め込んでやろう。」 ホウ統「それでは、部隊を編成しましょう。」 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵12000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)槍兵9000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)槍兵9000 張遵()+厳顔(弓将)+劉キ()弩兵9000 ホウ統(連環)+張良(神算)剣兵7000 張承(水将)弩兵7000 夏侯氏(看破)井闌6000 張紹(築城)井闌6000 の計65000で出撃。 11月21日北海から平原へと諸葛亮軍部隊が進撃 夏侯惇ら夏侯一族+張角で迎撃部隊を編成する 魏の将は水軍C なので厳しい戦いになりそうだ 12月21日 張苞「父上文虎を捕らえました」 張飛「良くやった。斬れ」 文虎「我が人生は尽きた、後は死あるのみ‥‥‥」 張飛「よし、返り討ちにしてやったぞ!このままいくぜ!」 ホウ統「張承殿は平原へ」 張承「ハイ」 厳しい戦いと思われていた平原方面の防衛戦も 夏侯惇部隊(副将に管仲)と夏侯4兄弟の連携攻撃で北海方面の諸葛亮軍を撃破していく。 僕陽方面の軍は張承の捨て身と連弩からの攻撃 夏侯玄、張既、夏侯令女の連弩補修で敵を抑える。 5月11日陳留を攻略する。 陳留の在野張楊、諸葛亮軍張ガイ、桓範を登用。 張飛「うし、次だな。」 ホウ統「僕陽を攻略致しましょう。」 張飛「何故だ?」 ホウ統「1つ、僕陽よりすぐ北に平原の内政地があるため。 2つ、ギョウを生産都市に出来るため。」 張飛「よし、んで何時やる?」 ホウ統「兵は神速を尊ぶと申します。」 張飛「よし、急ぎ士元先生攻略部隊の編成を頼むぞ。」 ホウ統「ハイ」 7月11日平原の兵で僕陽攻略作戦開始。 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵12000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)槍兵10000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)槍兵1000 張遵()+厳顔(弓将)弩兵10000 ホウ統(連環)+張良(神算)剣兵7000 夏侯氏(看破)衝車7000 張紹(築城)+劉劭(詩想)衝車7000 計63000 対する僕陽は24000 平原には夏侯惇、管仲、張承を北海対策で残し 他の主要面子を陳留内政に向かわせる。 9月兵0の頓丘港を落とし、上陸すると 姜維、孟獲、いにしえの岳飛が迎撃に出撃 彼ら3隊の攻撃で張飛隊が2500近く削られた。流石 槍兵で上手く敵部隊を隣接させ姜維、孟獲を連環で同時に混乱させ、 洞察のある岳飛から順番に各個撃破する。 11月11日僕陽攻略。この戦いで江東の二張が1人張紘を得る 張飛「期待してるぜ」 張紘「はい、戦以外はお任せください。」 ホウ統「では、しばらく北海攻略の為の兵力増強と 僕陽の内政開発を行いましょう。」 張飛「チッ暫く、退屈するな」 ホウ統「何を言われる張飛様も確り働いて下さい」 張飛「‥‥‥」 ということで暫くは僕陽で内政、南皮で兵力増強を行う。 262年7月精鋭弩兵の研究が終了左慈がやってくる。 左慈との会話も張飛らしく面白かったのですよ。 262年8月21日 張飛「夏侯惇、張承平原の守備ご苦労だったな。」 夏侯惇「なに、このくらい簡単よ。」 張承「はい、ありがとうございます」 北海からの攻略部隊が262年1月以降の7ヶ月の間、計7部隊が侵攻してきたが 夏侯惇+管仲10000、張承+顔良7000で全て撃破。 敵部隊はいにしえの霍キョヘイ以外は雑魚ばかりだったけど 水将のクリティカル、火矢、水軍適性の大切さを思い知らされた。 あの、霍キョヘイ(水軍適性C)でさえ楽勝だった。 勿論敵が高唐港を先に攻撃していたお陰もでかいかな。 張飛「後は俺に任せてゆっくり休め。 んじゃ、士元先生行こうぜ」 ホウ統「はい、部隊の編成整っております。」 北海攻略作戦開始部隊は下記の通り。 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵12000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)槍兵10000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)槍兵10000 張遵()+厳顔(弓将)弩兵10000 ホウ統(連環)+張良(神算 )剣兵7000 夏侯氏(看破)井闌7000 張紹(築城)+劉劭(詩想)井闌7000 計63000対する北海は21000 しかし、下ヒからの輸送隊の58000が北海に入城 北海に諸葛亮もいる。かなりの激戦となる。 263年5月21日何とか北海攻略 張氏隊は撃破され、夏侯氏隊は兵数が3桁張苞隊は兵数が2桁にまで減らされ 平原から夏侯惇と夏侯4兄弟からなる3部隊の騎兵隊を増援として派遣してようやく勝てた。 この激戦で獲たのは北海と張魯となんとも割りに合わない戦いだった。 北海を攻略して直後から下ヒから諸葛亮軍が断続的に攻めてくるが 下ヒも今回の北海攻略戦でかなりの兵が失われていて5000の1部隊ずつしか部隊を 北海に進撃させられない。 そんな中の11月11日馬岱が仕官を求めてやって来た。 人が絶対的に少ない我が軍にとってかなり有難い。 11月21日北海からの下ヒ攻略作戦開始 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵12000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)槍兵10000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)+馬岱(沈着)騎兵隊10000 張遵()+厳顔(弓将)弩兵10000 ホウ統(連環)+張良(神算)剣兵7000 夏侯氏(看破)井闌7000 張紹(築城)井闌7000 計63000対する下ヒは32000 北海からの進攻路に軍事施設が点々と造られているが 弩砦だから全く問題なし。 12月11日ギョウより小沛への攻略作戦開始 夏侯惇(騎将)+張既(親羌)騎兵10000 夏侯威(心攻)+夏侯恵(待伏)騎兵8000 夏侯覇(長駆)+顔良(威風)+夏侯令女(明鏡)騎兵8000 張承(水将)+夏侯和(待伏)騎兵8000 夏侯玄(名声)井闌7000 張角(仁政)+夏侯恩(射程)井闌6000 計47000対する小沛は16000 関羽勢力が先に小沛攻略をしている為こちらはかなり楽に落とせそう。 諸葛亮軍はこの2都市を落とせば滅亡となるのもあり かなり速戦で軍を出した。 ここさえ落とせば諸葛亮らが入るのは大きな戦力増強がはかれる。 下ヒからはいにしえの霍キョヘイ、岳飛らが主将として迎撃部隊を出してくる 流石ラスト2都市だけあって勇将がでてくる 一方小沛では諸葛亮軍の姜維が頑張って関羽軍と戦っているが 城は風前の灯火という状態だった。 3月11日小沛攻略成功。 関羽軍の井闌2部隊の攻撃にボロボロになっていた ところを最後の一撃だけうちの軍で行い小沛を落とした 関羽軍の井闌はすごすごと帰って行く。 4月11日下ヒ攻略成功諸葛亮軍滅亡。 迎撃部隊は張飛、張苞の乱突やホウ統の撹乱で混乱させて 弩砦は張遵の弩兵が強弓があるので3マスの距離をおいて攻撃 それほどの被害を出さずに撃破。 最後の攻城戦は井闌を率いた張紹、夏侯氏の経験値アップのため少し、 時間をかけたが一月遅れで攻略できた。 これにより諸葛亮軍から 諸葛亮、諸葛均、諸葛喬、黄月英、夏侯ボウ、張エン、張英、張繍 馬良、馬謖、韓嵩、劉ヨウを得た。 他は解放もしくは処断した。 次は南の孫堅軍が相手だ。 第9話 7月21日 張飛「おいおい、なんで下ヒ領内に孫堅軍がいやがるなんだ!?」 ホウ統「祝勝会で羽目を外しすぎましたなぁ。」 張飛「チッ準備がまだできてねぇよ。 張儀久々にいってきてくれ。」 張儀「はい、急ぎ酔いを覚まして行って参ります。」 完璧なミス小沛の内政と諸葛亮軍の登用等に気を回して 全く孫堅軍の動きを見てなかった。 気を抜きすぎたというか 少し、飽きてきていた。プレイ日記に書いているのだから確りラストまで頑張らねば。 8月21日停戦交渉開始。 孫堅軍の軍師は陸遜だったが不在なようで対戦相手は劉嫣(知力80) 危なかったが何とか勝利。 いかんなぁ。 この頃在野武将になっていた 諸葛瞻、諸葛尚、馬鉄、管亥(登用直後に孫堅軍に盗られた) 趙範、張宝を獲得。 張宝は鬼門持ちだが妖術不可なので兵器Sを活かせる射程に変更。 また、張遵には補佐を夏侯覇には覇王を付けた。 夏侯惇に覇王でも良かったが騎将が有るので夏侯覇に付けたげた。 ところで度々在野武将が仕官を求めてやって来るが あの台詞も個有メッセージが有るのだろうか? 仕官を断る台詞なんかも個有メッセージが有るのだろうか? 年末のうちに孫堅領になっていた港を落とし 265年1月21日以降より 下ヒの港を落としに孫堅軍の攻勢を受ける 265年4月21日ギョウから寿春への攻略作戦開始。 夏侯惇(騎将)+管仲(能史)騎兵11000 夏侯覇(覇王)+馬鉄(親羌)騎兵9000 夏侯威(心攻)+張エン(長駆)+夏侯恵(待伏)騎兵9000 張承(水将)+夏侯令女(明鏡)弩兵9000 夏侯恩(射程)+張既(親羌)井闌8000 張角(仁政)+張英(射程)+張ガイ(強奪)井闌7000 張宝(射程)井闌6000 張良(神算)剣兵5000 計64000対する寿春29000 265年10月11日寿春攻略 管亥と張布を得る 未だに下ヒでの港を挟んだ攻防戦は終わらない 上級だけあって兵力増強スピードが早い。 266年5月21日僕陽で編成して汝南攻略作戦開始 夏侯惇(騎将)+劉ヨウ(連戦)+韓嵩(不屈)騎兵11000 夏侯覇(覇王)+張繍(騎将)+張儀(論客)騎兵9000 夏侯威(心攻)+夏侯恵(待伏)騎兵9000 張承(水将)+張良(神算)+劉劭(詩想)弩兵9000 張エン(長駆)+夏侯恩(射程)+夏侯令女(明鏡)騎兵8000 張角(仁政)+張宝(射程)+夏侯和(攻城)弩兵7000 夏侯玄(名声)+張曼成(攻城)+馬鉄(親羌)騎兵7000 計60000対する汝南は30000 6月11日廬江から、同21日汝南から 孫堅軍が寿春に兵を侵攻させる。 張飛「夏侯惇、敵軍を戦い潰してから汝南攻略を頼むぜ」 夏侯惇「任せろ」 7月11日今度は江夏から孫堅軍が寿春へ進攻してくると報告がはいる。 ‥‥‥ウザい。 建業、呉からも寿春へ部隊が侵攻すると報告が入る。 張飛「チキショー!うぜぇなぁ!」 ホウ統「これは、好機です。」 張飛「どういうことだ?」 ホウ統「建業、呉も兵を寿春に向けたとなると 下ヒの港を巡る攻防戦は終わります。」 張飛「‥‥‥そうか!よし、急いで下ヒに戻って出撃準備をしようぜ!」 ホウ統「未だ、李典、呉景の2部隊計10000が下ヒの港を落としに進軍中です。」 張飛「うがー!!早く来やがれ!待つのはしょうにあわねぇぜ。」 寿春の防衛戦は 寿春は道々、湿地の間にある一部の建設可能なところにこれでもかと言うくらい連弩を設置 孫堅軍軍に有効な打撃を与えていく。正直、下ヒの港を守るより寿春の方が戦いやすい。 12月21日孫策軍が落陽にに侵攻すると報告を受ける 関羽の兄貴は落陽をおわれたようだ。やれやれ 寿春は張角、張承、張良に任せ夏侯惇の夏侯4兄弟らに孫策軍の迎撃にいかせる。 267年2月1日精鋭騎兵の研究終了 下ヒから会稽への攻略作戦開始 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵13000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)+顔良(威風)槍兵11000 張遵(補佐)+厳顔(弓将)+諸葛尚(怒髪)弩兵11000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)+馬岱(沈着)騎兵11000 ホウ統(連環)+諸葛亮(神算)+馬謖(百出)弩兵8000 夏侯氏(明鏡)+黄月英(工神)井闌7000 張紹(築城)+高覧(繁殖)+諸葛喬(射程)井闌7000 計68000対する会稽17136 4月関羽勢力滅亡。 在野で流れてきた関興、関サク、趙累等を得る 関サクは疾走持ちなので是非夏侯惇と組ませてあげよ。 趙累は補佐持ち、弓適性Aなので支援攻撃に期待してすこし能力アップをさせよう。 8月21日会稽攻略。 12月孫堅領の廬江に曹操軍が侵攻するこれで、寿春防衛戦も一息つける。 268年5月1日会稽からの呉攻略作戦開始 張飛(闘神)+韓信(強行)槍兵13000 張苞(掃討)+諸葛誕(金剛)+顔良(威風)槍兵12000 張遵(補佐)+厳顔(弓将)+孔丘(仁政)弩兵12000 張氏(昂楊)+関銀ペイ(血路)+馬岱(沈着)騎兵12000 ホウ統(連環)+諸葛亮(神算)+馬謖(百出)弩兵8000 夏侯氏(明鏡)+黄月英(工神)+諸葛瞻(攻城)井闌8000 張紹(築城)+張既(攻城)+諸葛喬(射程)井闌7000 計73000対する呉は24000 陸遜、丁奉が迎撃にくるが撹乱して ぼこぼこにしてやりました。 8月1日呉攻略 蜀末期の名将が1人張嶷を得る。 寿春では、新たに汝南の主となった曹操軍が侵攻する 建業から孫堅軍が南から侵攻する。 この時点で遂に限界を迎えた‥‥飽きた‥‥‥ 本当に申し訳ありません。 序盤はそんなに感じなかったのですが、名前縛りが予想以上に中盤以降、ストレスに ギエン、ヒイ、チントウなどが何度となく仕官を求めてやって来るが登用できないこととか。 内政、軍備増強が人数不足でなかなかうまく進まない。 張紹、夏侯氏を育てようと頑張ってしまったこと。 処断までを回数ありにしてしまったことでいちいち捕らえた武将をメモらなければならない。 等、本当に読んでくださっていた方申し訳ありません。有り難うございました。 名前 コメント
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堺撤退戦 堺撤退戦(さかいてったいせん)とは永禄11年に姉小路家と三好家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・堺駐留兵 0(正規軍に限る) 守将:七里頼周(三好の攻撃開始の際には既に撤退済み) 残物資 馬:0 鉄砲:0 (ただしこれは三好攻撃直前に限る) 撤退部隊(10月3日) 輸送隊10109 七里頼周 三好・勝端城兵11217 鉄鋼船:鉄砲隊6500:三好長逸、織田信長 鉄砲の性能、実戦運用に関しては姉小路側に一日の長があったが、三好は最新兵器、鉄甲船を実戦に投入し、不利を補おうとした。 姉小路は多方面で作戦を行っており、この三好の進撃への対応は、実質的に不可能の状態だったといえるだろう。 合戦概要 第二次姉小路包囲網結成後、虎視眈々と畿内奪回の機会を伺っていた三好は姉小路の尾張攻勢、上杉の越中攻勢をその好機と考え、堺への攻撃を決断した。 9月下旬に三好軍主力は勝端城への集結、編成を完了、10月に入るなり出撃を開始した。 姉小路にその方が伝わったのは、四国沿岸に少なくない労力を払い、弱体ながらも張り巡らしていたピケットラインが街道を北上する三好軍を発見した10月3日が有力とされている。 この頃の姉小路にとって、海というのは全くの異質の存在であった。飛騨出身の重鎮達はその戦い方を知らず、意外な事に異能の者達でさえ、海のなんたるかを知った者は不在であった。 また、有力な将のほとんどが不在の状況下でもあり、姉小路側は戦えばいたずらに損害を増やすと判断し、撤退を決断した。 最終的に堺が三好の手に落ちる11月28日までの間、堺の街はかつてないほどの慌ただしさを迎えることとなる。(詳しくは後述) なお、同時に進められていた吉田郡山攻めはあっさりと追い返されている。 この戦いの影響 三好はこの勝利によって再び近畿への足がかりを手にすることができた。だが、既に堺の街の機能はほぼ失われており、三好の期待した莫大な戦略物資、及び姉小路の築いた畿内の交易ネットワークの破壊は行えず、姉小路の収益にわずかな打撃を与えたに過ぎなかった。 逸話 余談ではあるが、以前にも三好は堺への侵攻を行ったことがある(1565年10月・Act50)が、そのときは清水宗治にあっさりと追い返されている。このときの兵力は姉小路10000、三好15000であったことは当時の三好水軍の貧弱さを物語っている。(あるいは水上での鉄砲戦に馴れていなかっただけか) ついでに言えば、今回の三好軍は織田信長が参加している。かつて織田家によって畿内を追われ、その信長と共に畿内への帰還を果たした三好家。長逸あたりは心中複雑であったことだろう。 「天下の大夜逃げ」堺撤退戦 堺の特徴 後の歴史ではあまり深くは語られていないが、この三好の堺攻勢は永禄11年に起こった合戦の中では、尾張攻略戦と並ぶ極めて重要な戦いであった。 尾張への攻勢は、武田に対する東征の始まりを意味したものなのは、最早語る必要もないだろう。武田にとっても尾張は、疲弊した経済、軍事力を立て直す要衝であり、状況次第では弱体化した北条にとどめを刺す為の攻勢拠点であった。 尾張が軍事的に重要であったのに対し、堺は別の意味、すなわち経済の面で非常に重要な都市であった。 この時代、既に堺の街の人口は8万を越え、なおも増加する傾向を見せていた。 平安時代、熊野詣や、弘法大師信仰を広める際の宿場町として歴史に登場した堺は、数百年の時をかけて徐々にその商業・軍事的特性を強めていた。 三好→織田→本願寺と名だたる大名家によって制圧された後でも、堺の自治組織(納屋衆や三十六人衆)はそれらに対し時には牙を向け、時には交渉することで他とは異なる一定の自治を認めさせていた。 織田信長はそれを徹底的に弾圧、破壊する予定だったのだが、他家からの侵攻に呑まれ、実行する機会はついになかった。 姉小路が支配下になってからもそれは変わらなかった。(姉小路家は他の町と同等にしたかったようだが、高度な生産加工能力をも合わせ持つ堺の取り扱いにはかなり苦労したようである。) もちろん、数々の大名家を苦しめた中には名だたる豪商が多数おり、彼らは堺を起点に畿内の各所で商売を行っていた。 米、日用品、酒、醤油、塩などの生活物資、鉄砲、弾薬、槍、刀、武具といった軍需物資を収めた蔵は堺の至る所に存在し、その総量は姉小路の軍事活動を丸3年は支えられる程であった。 また、畿内最大の人口を要し、交通の要衝でもあった大坂の街の台所という側面もあり、大陸から運ばれた硝石貿易の終着点でもあった。 本願寺が支配した経緯から一向宗の門徒や、南蛮貿易や布教のために訪れた宣教師なども大勢住んでいた。 文化的にも、宗教的にも、或いは経済的にも極めて重要な都市であった。 姉小路の経済特性 姉小路の保有する総資金額は武田に大幅に劣っている。だが、これはあくまで表面上であり、その内実は全く違った。 武田はその収益のほとんどを市場に流さず、手持ちに留めていた。これは民衆に力を蓄えさせず、反乱を起こさせない狙いだった。 そのため、兵一人一人に武具を買い与えなくてはならず、その武具の調達にも姉小路とは比べものにならない費用と時間がかかっていた。(流通網と市場が発達していないため) 一方の姉小路は絶えず資金を流動させる事によって、市場の活性化を狙っていた。これによって民の生活を肥えさせ戦役に伴う不満を逸らす狙いだった。 そのため、姉小路手持ちの資金は少なくとも、民や兵自体の生活レベルは比較的高く(美濃は例外的といえる)武具の調達等を個人単位で行える者が少なくなかった。(中には職人に頼み元込銃の銃身を切り詰めるなど、独自の改造を行った兵士もいたという)。その他にも物資の流通を良くするための街道整備や、疫病(脚気や結核から伝染病に至るまで)対策、寺子屋の設営、実施などの教育分野への投資。(飛騨、白川には武将専用の教育施設があったとされるが、後の地震によって該当地が、その他運営記録は火災によって焼失、詳細は不明となっており、何者かによる陰謀説も囁かれている) などの数々の政策は、いわば将来的な投資として実行していた。これによって姉小路の収益自体は年ごとに桁違いに増加し続けたと考えられている。 姉小路領内の循環資金は、その時代の他家全ての資金を合わせた額をも遙かに凌駕していたという。 そしてその流動資金が多く集まるのも、堺の特徴であった。 余談だが、姉小路は武将の統括については、武田、北条に比べ遙かに劣っていた。 松永、滝川、異能の者全般や本願寺などを抱えた大所帯とはいえ、その軋轢は大きかったという。 話を戻すが、今回の三好の攻勢によって、この経済圏が一気に破壊される可能性が出てきた。 それを恐れた姉小路側は、当時からは考えられないほどの大規模な撤退戦を決心する。 豊かになったを言い換えれば、力をつけたといえる民衆がそれを後押ししたのも大きかった。特に商人的な思考が強く「権力に反抗的で戦に向かない」との風評がある摂津、河内の風土の特性が色強く出たということだろう 三好側の状況もそれを後押しした。当時三好の軍港となっていた宇多津には小規模な水兵が配属されているに過ぎず、陸軍の大多数は勿論、水兵までもを勝端城に駐留させていた。理由としては、畿内を失い弱体化した戦力を少しでも補うため姉小路の同盟国、長宗我部を隙あらば攻撃し、軍門に下らせようという狙いがあったと見られている。 陸上戦闘ではほとんど戦力としてあてにできない水兵をも配置したのは、長宗我部に対する戦力的な欺瞞工作という面が強かった。 姉小路の渡洋侵攻能力では宇多津を含めた四国東部に上陸してくることはありえないという判断の結果でもあった。 これが今回、裏目に出た。 勝端から出撃港となった宇多津(鉄甲船の整備が出来るのはここの港のみだった)までの行軍に無駄な時間を要することになる。 勝端に駐留していた水軍兵が、普段輸送にも関わっていない兵ばかりで、陸軍への転換を行っている最中だったのがさらに状況を悪化させた。 陸海ともに中途半端な練度しか持ち合わせていないため、行軍中に鉄砲を暴発させたり、方角を間違え、足軽頭もろとも一部隊が行方不明という惨劇すら広げた。 辛うじて港にたどりついてからも、多くの問題が噴出していた。 まず、鉄甲船に問題が発生していた。数年の時を得てパチュリー・ノーレッジが開発した鉄甲船にも経年劣化が生じていた。 三好には新造艦を作る技術も設備もなく、けして効果的ではない修理、整備を行っているだけに過ぎなかった。 汐風によって船体には錆が回り、同時に多数のフジツボが定着、その無様な光景を見た織田信長はあまりの情けなさに笑いだし、哮喘の調子が悪く、吉野川近くの保養地で静養していたパチュリーは報告を聞くと、読んでいた書物を取り落とし、しばし絶句したという。 他にも何気なく兵が船縁を触ったところ、鉄片がポロリと取れたともいわれている。 やむを得ず、研究用に陸揚げしていた一隻の使用を急遽決定。 また、同時に行っていた安芸への進撃の為、鉄甲船に随伴する船が全て出払っており、呼び寄せるのに時間を要した。 港にあった物資だけでは足りず、急遽勝端城から輸送したのも進撃速度の低下の一因となった。 海に出たら出たらで、別の問題が発生した。水軍練度の低下により、航法を間違えた随伴の関船が数隻行方不明になったり、外洋に比べれば凪のような海のうねりに耐えきれず、横転する小早まででた。 それにもめげず、三好水軍は堺まで進撃を続けた。 姉小路側の対応 三好の現状をそれなりの精度で探知していた姉小路は、この大がかりな撤退戦を決断した。 兵、民は本願寺の坊官上がりの七里頼周をこの撤退戦を行える器ではないと見ており、必然的に堺の街の実力者達がその中心となった。 まず、名うての大手馬屋が薬師や産婦の協力の下、手持ちの馬を無償で、老人、子供、妊婦、身障者などに優先的に提供した。 飯屋を経営する者達は続々と撤退先の石山への街道上で炊き出しを行い、街道は炊き出しの湯気が至る所で上がった。避難民の多くは『むしろ、避難しているときの方が旨い物を食べられた』と後に語ったという。 呉服屋や京の高価な織物屋も迫り来る冬に備えさせるため、自ら蔵を開け、進んで着物を提供した。 豪華な錦の着物をきた童女を襲った盗賊衆が、これまた武具商人が提供した武具で武装した町民達に撃退されるという珍事まで引き起こしていた。 七里頼周が撤退の報を聞き、動き始めた頃には既に、民の半数が堺の街から脱出済みだったといわれている。 流通面でも異常ともいえるほどの迅速さでその流れを変えた。 2週間も立たぬ間に、敦賀から搬送された硝石は京都北方の西近江路、朽木街道で止められ、それぞれ坂本、京に一時的に保管された。 堺市内にあった物資は門真、住吉、天満、尼崎などに全て搬送され、後に改めて軍事物資は姉小路が買い上げ石山へと送られた。 貸付金などに関しても、小規模な者は全て豪商達の寄り合いが全額即金で保証し、自らの分は後に姉小路に求めるという形に勝手に決めてしまった。 交易船に関しても、岸和田、湊川などの近隣に避難させ、搬送できないと判断した場合は、これまで寄り合いが買い上げ、すぐさま燃やして、後に姉小路へと請求した。 あらかた終わった後、最後の仕上げとばかりに、鉄砲鍛冶、刀鍛冶の面々が残っていた丸薬を一斉に爆破し、自らの作業場を破壊し、敵が利用するのを完全に阻止した。 姉小路の内政官がせめて蔵の中の貴重品だけでも先に避難させようと意気込んで堺に入ったとき、既に市街地はもぬけの殻で、ねずみ取りの為の野良猫が多数いただけだったという。 それからしばらくして、三好水軍が攻撃を開始、堺を占領するに至る。
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autolink KC/S25-166P カード名:三式潜航輸送艇 まるゆ カテゴリ:キャラクター 色:黄 レベル:0 コスト:0 トリガー:0 パワー:2000 ソウル:1 特徴:《艦娘》?・《潜水艦》? 【永】 このカードと同じカード名のカードは、デッキに好きな枚数入れることができる。 【起】[① このカードを控え室に置く] あなたは2枚まで引き、自分の手札を2枚選び、控え室に置く。 まるゆがお荷物持って行きますね。はい、モグラ輸送です。 レアリティ:PR ブースターパック 「艦隊これくしょん -艦これ-」 BOX封入特典 投入枚数が無制限になる【永】と自身をコストに手札交換を行う能力を持つ。 必要なカードを運んで来て、チェンジ先などを控え室に送る様は正に輸送艇。 しかしコストはまるゆ自身と①である。大量に投入しても手札や舞台のカードとストックが減って行く。 またキャラは他に手札に加える手段が豊富であり、クライマックスを引きたいなら祭りの最中 神通改二?で良い。 不安定ではあるが対応するキャラがないイベントを手札に加えられる点、手札に固まったクライマックスを処理できる点で差別化したい。 カードリスト上の表記は「まるゆ」となったが、実際に印刷されたカードは原作カード表記に倣い、「○(まるゆ)」(○の中に「ゆ」)という特殊文字が採用された。 デッキ投入枚数に制限が無いカードは10種類を超え、珍しい能力ではなくなってきているが、まるゆこと三式潜航輸送艇は終戦までに38隻が建造された。ファンデッキ(ネタデッキ)を組むときには気にかけてみよう。
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人工アブダクター「輸送」タイプの筐体から取得できる資源「金属合板」の「輸送乙型」タイプ。 入手方法 ボランティア 第3情報位階権限 第4情報位階権限 取得考試 第4情報位階権限 任意:サ4-6号作戦:目標排除 特殊ボランティア アクセサリ奪還ボランティア ジ204号作戦:協汎者奪還
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このページは、他の部曲員の参考になるだろう情報を掲載しています。 極秘情報が掲載されるまでは一般閲覧可とします。 PD攻略以外は制限外してみました PD情報(詳細は視聴制限かけています。) +... 裏石林 吐糸洞 九尾討伐 呪われた陵墓 見捨てられた村 石林 氷雪峰 ・・・3層あって面倒なので作る予定なし ↑上へ 軍略や徒党狩りについてのコツ +... 必ずしも、これが正解という訳ではありませんが参考までに(違うよ!こうした方が良いよ!ってのはドンドン修正ヨロ) ・防御…基本はFAを取って、リンクした敵から攻撃を受ける。被ダメした状態で簡易回復。 簡易回復は頻繁に行い、罵倒は緊急時のみに抑えると良い。 被ダメ的には氷の盾が良いが、タゲ取りしやすい炎の盾がお勧めかな? ・攻撃…防御がFAを取り、簡易回復を入れた後にひたすら攻撃。偽装は極力高位のものを使用。 PD等で丹にタゲが流れた場合、突進などを使いタゲを奪うか倒すのも可だが、相手が高lvだと逆に殺されるので注意。 ・戦術…敵対を上げる技能が多いので注意(初心者は偽装1を付けるといいかも)。 やり方は攻撃と大差ない。(布職へのタゲ漏れ時は双より率先してタゲ奪う) 強振を覚えたら、弓兵や妖兵を盾周辺に向けて弾き飛ばすことを覚えると良い。 盾が居ない時に盾役になることがある。 ・投射…軍略や徒党狩りでは肩身の狭い悲しい職か? 盾が纏めたところを乱れ撃ちや火炎矢でダメを与えよう。偽装は高位のものを使用。 丹にタゲが流れた時の釘付けと詠唱を止める爆裂矢は重宝するのでスロットに常備必須。 刻印矢は、全ての物理攻撃に対して与ダメupするので最初に入れるといいかも。 ・練丹…盾役が簡易回復した後から回復を始めると良い。盾役を回復しすぎるるとタゲが飛んでくるので注意。偽装は極力高位のものを使用。 効能強化は常時入れると良い(リキャ毎に入れる位で良い)。できれば活性化も。 思った以上に浄化は役立つので1つは常備。PD(特に裏石林)では鈍化開放も重宝します。 妖の人数が多く、盾への回復が問題ない場合は、呪詛もお勧め。 ・妖術…構成次第だが、基本はDOTダメ重視で。盾がタゲを奪う前に範囲攻撃を入れるのは禁物。 盾の体力がやばそうな時は、氷雪嵐を用い盾への攻撃を止めるのも良い。 部曲戦情報 無限大公社では不定期ですが希望者で対外部曲戦をやったり、紅白戦をやっています。 また、希望者で「華麗なる紳士の集い(部曲戦部曲)」に参加しています。 魏国では有志で毎週火曜に部戦イベントを許昌インス1宮殿広場22:00~やっています。(初心者も気軽に参加可能) 闘技へもがんがん行きましょう。1人では心細い&盟主やらされるんじゃないかと不安な人は、慣れてる人と徒党組んで一緒に行けばOK。気軽に部チャで行きてーって言ってみて。 +... 各職技能パレット(参考) マクロ(参考) ↑上へ 新装備情報 +... Lv50金属防具 ドロップ系素材:朱漆12、神鉄鉱石10、纏霊甲片4、烈火の元素10、薄紗3、妖虫粘糸2、大木の元素8 Lv50布防具 ドロップ系素材:薄紗11、妖虫粘糸10、妖香木片4、烈火の元素10、千年真珠2、大木の元素8 胴:天繭布30/薄紗6/緑玉10/妖虫粘糸4/妖香木片2/烈火の元素6/瑠璃原石9 頭:天繭布25/薄紗5/赤割の土台2/妖虫粘糸2/妖香木片2/烈火の元素4/瑠璃原石4 手:天繭布22/天繭紐20/硬鱗材5/妖虫粘糸2/千年真珠1/大木の元素4/瑠璃原石3 足:天繭布22/天繭紐20/練皮紐8/妖虫粘糸2/千年真珠1/大木の元素4/瑠璃原石3 Lv50皮防具 ドロップ系素材:纏霊甲片10、神鉄鉱石4、妖虫粘糸2、流水の元素8、大木の元素10、薄紗3(内蜘蛛糸4)、朱漆8(内赤鉄鉱石4)、発光核4 胴:硬鱗甲片2/練皮紐10/金の留め金10/纏霊甲片4/神鉄鉱石2/大木の元素6/磁鉄鉱石7 頭:硬鱗甲片2/練皮紐10/薄紗3/纏霊甲片2/神鉄鉱石2/大木の元素4/磁鉄鉱石3 手:堅硬軽革甲片2/硬鱗材10/朱漆8/纏霊甲片2/妖虫粘糸1/流水の元素4/瑠璃原石3 足:堅硬軽革甲片2/硬鱗材10/天繭紐8/纏霊甲片2/妖虫粘糸1/流水の元素4/瑠璃原石3 《輝の場合の追加品:金の留め金10、天蚕紐8》 Lv50弓 ドロップ系素材:妖香木片4、神鉄鉱石2、大木の元素8 弓:白楡材40/練皮弦4/金の留め金6/妖香木片4/神鉄鉱石2/大木の元素8/磁鉄鉱石14 《輝の場合の追加品:金の留め金6》 Lv50木剣 ドロップ系素材:妖香木片4、神鉄鉱石2、烈火の元素8、朱漆20(内赤鉄鉱石8) 剣:胡楊材50/朱漆20/薄光符20/緑玉10/妖香木片4/神鉄鉱石2/烈火の元素8/瑠璃原石16 《輝の場合の追加品:薄光符20、緑珠10》 Lv50棍 ドロップ系素材:妖香木片4、神鉄鉱石2、流水の元素8、薄紗5(内蜘蛛糸4)、朱漆25(内赤鉄鉱石10) 棍:胡楊材35/朱漆25/薄光符15/薄紗5/妖香木片4/神鉄鉱石2/流水の元素8/瑠璃原石16 《輝の場合の追加品:薄光符15》 Lv50短刀 Lv50双刀 Lv50槍 薬1 薬2 霊玉1 霊玉2 霊玉3 ↑上へ 技能枠増加依頼情報 ぶっちゃけ、まとめwikiを見れば判るのですが、参考迄に載せてみました +... ・所有技能数が増えるのは「蜘蛛精討伐+2」「九尾討伐+5」「大僵屍王封印+2」「疫神討伐+5」「巫師匠討伐+2」「氷雪峰の戦神獣+5」です ・赤色は徒党推奨(技能数増加に関係するものはPD部分以外はソロでもいけます…蜀編はソロではキツイ物が若干あります) 【9/17実装分:蜀編】・・・&徒党推奨の色は変えてません 南蛮軍来襲(趙20)─三元帥を倒せ(趙20) └銀治洞娘子軍(趙20)─楊鋒を説け(諸20)─南蛮王軍現る(張20)─南蛮の補給隊(馬20)─南蛮王の弟(関20)─禿龍洞の強弩隊(黄20)─朶思大王の挑戦(張20)─※1へ ※1木鹿大王の妖獣軍(関20)─木鹿大王を討て(諸20)─氷雪峰の異変(諸20)─帯来洞主を追え(趙20 氷PD)──氷雪峰の戦神獣(劉備20 氷PD(総合47↑)) └烏戈国兵の怪(馬20)─兀突骨を討て(馬20) 三太守反乱(劉20)─剛勇、鄂煥(諸20)─雍闓は許さず(黄20)─雍闓を討て(関20)─雍闓追撃(張20 石林)─南蛮を知る者(諸20)─巫師匠討伐(劉20 石林) 攻略情報へ ※倒してしまうと依頼失敗になるものが多々あるので注意! 【8/20実装分:呉編】・・・徒党推奨の色は変えてません 袁術軍現る(権20)─袁術軍先鋒を討て(香20)─袁術軍の猛将(孫策20)─迫る廬江軍(甘20)─馬日磾を救え(香20)┬疫蜚討伐(香20)─疫神討伐(権20 村) 攻略情報へ? └劉勲を討て(策20)…↑疫神討伐の前提です 蘇る死人(太20)─大僵屍王封印(権20 墓) 攻略情報へ └不審の陸遜(周20) (野狗子の怪(従来品))─仏法を騙る者(甘20) 袁術の犠牲者(陸20)┬怨霊を生む者(呉景 揚州南)─偽帝の創造者(呉景 揚州南) └美しさの代償(馮妃の霊 揚州南) (漁村の実情(従来品))─徳王軍来襲(周20)─徳王軍の弟(喬国 歴陽)─徳王を討て!(喬国 歴陽) 【7/16実装分:魏編】 袁紹軍現る(曹20)-先鋒は顔良!(徐20)-深酒への誘い(司20)-淳于瓊急襲(曹20) └韓猛の輸送隊(張20)-袁煕軍を防げ(許20)-袁煕の精鋭を討て(惇20)-色香に迷う男たち(惇20)-蜘蛛精討伐(曹20 蜘蛛) 攻略情報へ 張繍軍現る(張20)-悪来の仇(惇20) └援軍が消えた?(曹20)-鄒氏の誘い(曹20)-九尾討伐(徐20 森) 攻略情報へ 三賊砦蠢動(許20)─三賊再来(許20)─二賊来援(許20)─三賊を操る者(司20)─袁譚軍急襲(淵20)─袁譚の参謀(司20)─袁譚討伐(惇20) ↑上へ イベント情報 工事中... +... ↑上へ ご新規さん勧誘マクロ +... マクロ名:新規勧誘 例1:りきっど提供) 1行目:/求人 魏国曹操所属部曲『無限大公社』では現在部曲員を募集しています。%n狩、PD、軍略、部戦、合戦などみなで楽しんでいますが、基本自由です。一緒に遊びませんか? 2行目:/求人 ←の名前を右クリックで対話できます。質問等お気軽に~ 例2:桃園提供) 1行目:/求人 魏部曲【無限大公社】(曹操所属)では新入または中途社員を募集しています。狩り・PD・軍略・部戦などみんなで楽しんでいます。貴方も無限大公社の社員になってみませんか? 2行目:/求人 最寄の社員などに対話もしくは参加希望をお待ちしております。 3行目:/求人 ホームページ→http //www15.atwiki.jp/solmugen/ 4行目:/求人 ログ流し失礼しました。 ↑上へ 仙輝水情報(交換用品) +... 職 栽培品1 栽培品2 期間 防御 山桃 10 梔子 15 3~6 石榴 10 紫陽花15 6~9 攻撃 龍眼 10 牡丹 20 3~6 馬銭 10 朝顔 20 6~9 茘枝 10 月下美人 30 9~12 戦術 龍眼 10 瓢箪 15 3~6 馬銭 10 紅黄花15 6~9 投射 山桃 10 海芋 20 3~6 石榴 10 撫子 20 6~9 桃 10 黄蜀葵20 9~12 練丹 山桃 10 蕎麦 30 3~6 石榴 10 猫鬚草30 6~9 梅 10 粟 30 1~3 妖術 龍眼 10 苺 30 3~6 馬銭 10 薊 30 6~9 茘枝 10 桔梗 30 9~12 銀杏 10 灯篭草 30 1~3 ↑上へ 膏情報(交換用品) +... 職 栽培品1 栽培品2 期間 防御 3~6 6~9 攻撃 梔子 15 苺 30 3~6 紫陽花 15 薊 30 6~9 葡萄 15 桔梗 30 9~12 戦術 3~6 6~9 体力 龍眼 10 山桃 20 3~6 馬銭 10 石榴 10 6~9 茘枝 10 桃 10 9~12 練丹 3~6 6~9 妖力 牡丹 20 海芋 20 3~6 朝顔 20 撫子 20 6~9 月下美人 20 黄蜀葵 20 9~12 ↑上へ
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高速輸送艇サナギ imageプラグインエラー 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。 [解説]
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/319.html
パウロ書簡の偽書。 コロサイの信徒への手紙で、書簡の最後(4 16)でパウロはラオディキアへ送った手紙について言及している。偽書である『ラオディキアの信徒への手紙』はこの記述にもとづいて書かれたと考えられている。全体的に本書は『エフェソ書』に良く似ているといえる。 http //www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=lao course=apo
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1.師団・旅団・独立部隊・歩兵大隊編制表(最新) 【39年型機械化歩兵師団】(20000名、戦車兵2808名、航空兵72名、1070.5万£)師団司令部――─────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━3個戦闘団司令部─────────────―─ 3個司令部中隊(400名)┣━6個重機械化歩兵大隊───────────18個重機械化歩兵中隊(4800名)┣━4個戦車大隊──────────────────12個戦車中隊(1600名)┣━浮航戦車大隊──────────────── 3個浮航戦車中隊(400名)┣━火炎放射大隊────────────── 3個火炎放射戦車中隊(400名)┣━自走榴弾砲連隊── 3個自走榴弾砲大隊─── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走ロケット砲大隊──────────── 3個自走ロケット砲中隊(400名)┣━重迫撃砲連隊─── 3個重迫撃砲大隊───── 9個重迫撃砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊──────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━戦闘工兵大隊──────────────── 3個戦闘工兵中隊(800名)┣━飛行大隊─────┬───────────── 2個連絡機中隊(300名)┃ └───────────── 1個観測ヘリ中隊(100名)┗━支援部隊―――――┬ 9個トラック大隊―─────27個トラック中隊(5400名) └ 3個装軌輸送大隊──── 9個装軌輸送中隊(1800名)計 (20000名)『39年型機械化歩兵師団 各種車両等総数』T-55 144両PT-76 36両OT-34 36両M109 108門BM-21-1 36門PM-43 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台BMP-1 648両MT-LBV 738両ウラル4320 1350台Fi156C-5 24機OH-13 12機【39年型戦車師団】(17200名、戦車兵2196名、航空兵72名、902.5万£)師団司令部――─────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━3個戦闘団司令部──────────────― 3個司令部中隊(400名)┣━3個重機械化歩兵大隊─────────── 9個重機械化歩兵中隊(2400名)┣━6個戦車大隊──────────────────18個戦車中隊(2400名)┣━2個火炎放射大隊───────────── 6個火炎放射戦車中隊(800名)┣━自走榴弾砲連隊─── 3個自走榴弾砲大隊── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走重榴弾砲大隊──────────── 3個自走重榴弾砲中隊(400名)┣━自走ロケット砲大隊──────────── 3個自走ロケット砲中隊(400名)┣━重迫撃砲連隊──── 3個重迫撃砲大隊──── 9個重迫撃砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊──────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━2個戦闘工兵大隊─────────────── 6個戦闘工兵中隊(1600名)┣━飛行大隊─────┬───────────── 2個連絡機中隊(300名)┃ └───────────── 1個観測ヘリ中隊(100名)┗━支援部隊―――――┬ 4個トラック大隊―─────12個トラック中隊(2400名) └ 4個装軌輸送大隊────12個装軌輸送中隊(2400名)計 (17200名)『39年型戦車師団 各種車両等総数』T-55 216両OT-34 72両M109 108門M110 36門BM-21 36門PM-43 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台BMP-1 324両MT-LBV 996両ウラル4320 600台Fi156C-5 24機OH-13 12機【39年型空挺師団】(13800名、戦車兵252名、505.5万£)※輸送機部隊は別扱い師団司令部――────空挺司令部大隊───── 3個空挺司令部中隊(400名)┣━ 2個空挺歩兵連隊─ 6個空挺歩兵大隊─────18個空挺歩兵中隊(4800名)┣━軽戦車大隊────────────────── 3個軽戦車中隊(400名)┣━空挺対戦車大隊────────────── 3個空挺対戦車中隊(400名)┣━空挺重迫撃砲連隊─ 3個空挺重迫撃砲大隊─ 9個空挺重迫撃砲中隊(1200名)┣━空挺軽榴弾砲連隊─ 3個空挺軽榴弾砲大隊─ 9個空挺軽榴弾砲中隊(1200名)┣━空挺防空連隊──── 3個空挺防空大隊──── 9個空挺防空中隊(1200名)┣━対空砲大隊─────────────────── 3個対空砲中隊(400名)┣━空挺偵察大隊───────────────── 3個空挺偵察中隊(400名)┣━ 2個空挺戦闘工兵大隊─────────── 6個空挺戦闘工兵中隊(1600名)┗━空挺支援部隊――─ 3個空挺トラック大隊―─── 9個空挺トラック中隊(1800名)計 (13800名)『39年型空挺師団 各種車両等総数』ASU-85 36両ASU-57 36両T-20コムソモーレツ 654両PM-43 108門L118 108門20mm四連 72基40mm連装 36基MT-LBV 36両52-K 85mm対空砲 36門シュヴィムワーゲンTyp 166 150台九七式側車付自動二輪車 150台ウラル4320 450台【39年型空中強襲師団】(17200名、戦車兵0名、航空兵936名、771万£)師団司令部――──────空中強襲司令部大隊──── 3個空中強襲司令部中隊(400名)┣━ 4個空中強襲歩兵大隊────────────── 12個空中強襲歩兵中隊(3200名)┣━空中強襲重迫撃砲連隊─ 3個空中強襲重迫撃砲大隊─ 9個空中強襲重迫撃砲中隊(1200名)┣━空中強襲軽榴弾砲連隊─ 3個空中強襲軽榴弾砲大隊─ 9個空中強襲軽榴弾砲中隊(1200名)┣━空中強襲防空連隊─── 3個空中強襲防空大隊─── 9個空中強襲防空中隊(1200名)┣━空挺偵察大隊───────────────── 3個空挺偵察中隊(400名)┣━空中強襲工兵大隊──────────── 3個空中強襲工兵中隊(800名)┣━ 4個多用途ヘリ連隊─ 12個多用途ヘリ大隊── 36個多用途ヘリ中隊(4800名)┣━飛行大隊─────┬───────────── 2個連絡機中隊(300名)┃ └───────────── 1個観測ヘリ中隊(100名)┗━支援部隊―――――┬ 3個支援トラック大隊─── 9個支援トラック中隊(1800名) └ 3個装軌輸送大隊──── 9個装軌輸送中隊(1800名)計 (17200名)『39年型空中強襲師団 各種車両等総数』PM-43 108門L118 108門20mm連装 108基シュヴィムワーゲン 1272台九七式側車付自動二輪車 150台MT-LBV 450両ウラル4320 450台H-34 432機Fi156C-5 24機OH-13 12機【39年型海上機動旅団】(7100名、戦車兵192名、航空兵72名、264.0万£)※揚陸艦は別+10旅団司令部――──────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━ 5個機動歩兵大隊─────────────── 15個機動歩兵中隊(4000名)┣━機械化混成機動大隊──┬───────── 1個重機械化歩兵中隊(300名)┃ ├─────────── 1個浮航戦車中隊(100名)┃ └─────────── 1個戦闘工兵中隊(300名)┣━機動偵察大隊─────┬─────────── 1個偵察中隊(200名)┃ ├─────────── 1個戦車中隊(150名)┃ └─────────── 1個自走防空中隊(150名)┣━機動砲兵大隊─────┬─────────── 2個重迫撃砲中隊(300名)┃ └─────────── 1個軽榴弾砲中隊(200名)┣━飛行大隊─────┬───────────── 2個連絡機中隊(300名)┃ └───────────── 1個観測ヘリ中隊(100名)┗━支援部隊――――─―┬─機動輸送隊───── 1個装軌輸送中隊(200名) └─舟艇部隊──────── 4個舟艇中隊(400名)計 (7100名)『39年型海上機動旅団 各種車両数等総数』PT-76 12両T-55 12両PM-43 24門L118 12門20mmシルカ 8両40mmシルカ 4両シュヴィムワーゲン 50台九七式側車付自動二輪車 50台BMP-1 36両MT-LBV 158両Fi156C-5 24機OH-13 12機大発 80艇特大発(T-55対応) 12艇【39年型砲兵旅団】(10400名、戦車兵0名、航空兵72名、781万£)旅団司令部――──────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━自走榴弾砲連隊─── 3個自走榴弾砲大隊─── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走重榴弾砲連隊── 3個自走重榴弾砲大隊─ 9個自走重榴弾砲中隊(1200名)┣━自走ロケット砲連隊── 3個自走ロケット砲大隊─ 9個自走ロケット砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊────────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(400名)┣━飛行大隊─────┬───────────── 2個連絡機中隊(300名)┃ └───────────── 1個観測ヘリ中隊(100名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―─────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊──── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (10400名)『39年型砲兵旅団 各種車両等総数』M109 108門M110 108門BM-21-1 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台MT-LBV 486両ウラル4320 900台Fi156C-5 24機OH-13 12機【39年型野戦防空旅団】(10400名、戦車兵0名、486.0万£)旅団司令部――──────司令部大隊────── 3個司令部中隊(400名)┣━ 2個自走防空連隊── 6個自走防空大隊───18個自走防空中隊(2400名)┣━ 2個対空砲連隊─── 6個対空砲大隊──── 18個対空砲中隊(1200名)┣━工兵大隊─────────────────── 3個工兵中隊(400名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊─── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (10400名)『39年型野戦防空旅団 各種車両等総数』20mmシルカ 144両40mmシルカ 72両52-K 85mm対空砲 108門MT-LBV 444両ウラル4320 900台【39年型独立守備隊】(1500名、戦車兵372名、74.5万£)隊本部― 司令部中隊(100名)┣━重機械化歩兵大隊─ 3個重機械化歩兵中隊(800名)┣━混成戦車中隊(100名)┣━混成砲兵中隊(100名)┣━偵察中隊(100名)┣━戦闘工兵中隊(200名)┗━装軌輸送中隊(200名)計 (1500名)『39年型独立守備隊 各種車両等総数』BMP-1 108両T-55 4両PT-76 4両OT-34 4両PM-43 4門L118 4門20mmシルカ 4両MT-LBV 124両シュヴィムワーゲンTyp 166 50台九七式側車付自動二輪車 50台【39年型歩兵大隊編制表】(大隊人員800名、大隊単価21万£)歩兵大隊━┳━歩兵中隊━┳━歩兵小隊━┳━歩兵分隊(AKM、RPK、ドラグノフ、GP-25、各種手榴弾等を装備) .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┃ .┃ .┗━軽機関銃分隊(PK軽機関銃 x 4) .┃ .┗━重火器小隊(M2HBQCB x 4、八九式重擲弾筒 x 4) .┗━火力中隊(SD-44 x 6、L16 x 6)『39年型歩兵大隊 各種部隊火力』SD-44 6門L16 6門M2HBQCB 12挺八九式重擲弾筒 12門PKM 36挺※司令部小隊などは割愛、装備の費用は歩兵中隊編制費に反映※自動車化、機械化、空挺など、必要に応じて車輌などは追加配備 2.各種中隊装備、価格 司令部中隊(7.0万£)…………MT-LBV x 12両+司令部設備空挺司令部中隊(6.0万£)……T-20コムソモーレツ x 12両+司令部設備+空挺装備重機械化歩兵中隊(11.5万£)…BMP-1 x 36両+歩兵装備空挺歩兵中隊(8.0万£)………T-20コムソモーレツ x 12両+歩兵装備+空挺装備機動歩兵中隊(9.0万£)………機動歩兵装備(歩兵装備+戦闘工兵装備の一部+小型艇)戦車中隊(8.0万£)……………T-55 x 12両軽戦車中隊(2.5万£)…………ASU-85 x 12両浮航戦車中隊(1.5万£)………PT-76 x 12両火炎放射戦車中隊(3.0万£)…OT-34 x 12両空挺対戦車中隊(2.0万£)……ASU-57 x 12両+空挺装備自走榴弾砲中隊(9.0万£)……M109 x 12門自走重榴弾砲中隊(12.0万£)…M110 x 12門自走ロケット砲中隊(21.0万£)…BM-21-1 x 12門軽榴弾砲中隊(8.0万£)………L118 x 12門+MT-LBV x 12両空挺軽榴弾砲中隊(7.0万£)…L118 x 12門+T-20コムソモーレツ x 12両+空挺装備重迫撃砲中隊(3.0万£)………PM-43 x 12門+MT-LBV x 12両空挺重迫撃砲中隊(2.0万£)…PM-43 x 12門+T-20コムソモーレツ x 12両+空挺装備自走防空中隊(2.0万£)………劣化シルカ(20mm四連) x 8両+劣化シルカ(40mm連装) x 4両空挺防空中隊(2.0万£)………20mm四連 x 8基+40mm連装 x 4基+T-20コムソモーレツ x 12両+空挺装備対空砲中隊(3.5万£)…………52-K 85mm対空砲 x 12門+MT-LBV x 12両偵察中隊(1.5万£)……………シュヴィムワーゲンTyp 166 x 50台+九七式側車付自動二輪車 x 50台空挺偵察中隊(2.0万£)………シュヴィムワーゲンTyp 166 x 50台+九七式側車付自動二輪車 x 50台+空挺装備工兵中隊(16.0万£)……………MT-LBV x 50台+工兵装備戦闘工兵中隊(16.0万£)………MT-LBV x 36両+戦闘工兵装備空挺戦闘工兵中隊(12.5万£)…T-20コムソモーレツ x 50両+戦闘工兵装備+空挺装備多用途ヘリ中隊(8.5万£)………H-34 x 12機+特殊資材連絡機中隊(1.5万£)……………Fi156C-5 x 12機+特殊資材観測ヘリ中隊(2.5万£)…………OH-13 x 12機+特殊資材支援トラック中隊(15.0万£)……ウラル4320 x 50台空挺支援トラック中隊(15.5万£)…ウラル4320 x 50台+空挺装備装軌輸送中隊(8.0万£)………MT-LBV x 50両舟艇中隊(10.0万£)……………大発 x 20艇+特大発(T-55対応) x 3艇 3.師団・旅団・歩兵大隊編制表(旧式) 【33年型機械化師団】(17300名、戦車兵1380名、265.5万£)師団司令部――───司令部大隊───────── 3個司令部中隊(500名)┣━3個戦闘団司令部─────────────― 3個司令部中隊(500名)┣━4個機械化歩兵大隊───────────12個機械化歩兵中隊(4000名)┣━重迫撃砲大隊─────────────── 3個重迫撃砲中隊(500名)┣━対戦車砲大隊─────────────── 3個対戦車砲中隊(500名)┣━4個戦車大隊───────────────── 12個戦車中隊(2000名)┣━2個軽戦車大隊─────────────── 6個軽戦車中隊(1000名)┣━突撃砲大隊───────────────── 3個突撃砲中隊(500名)┣━自走榴弾砲連隊─ 3個自走榴弾砲大隊┬─── 6個自走榴弾砲中隊(1000名)┃ └── 3個自走重榴弾砲中隊(500名)┣━自走防空大隊──────────────── 3個自走防空中隊(500名)┣━装甲偵察大隊────────────────── 3個偵察中隊(500名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(500名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―─────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊──── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (17300名)『33年型機械化歩兵師団 各種車両等総数』T-34 168両PT-76 84両SU-85 36両M7B2プリースト 72門M40 36門PM-43 36門53-K 45mm対戦車砲 36門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台MT-LB 1020両GMC CCKW 900台【34年型空挺師団】(13700名、パイロット960名、190.5万£(内グライダー60万£))師団司令部―空挺司令部大隊─ 3個空挺司令部中隊(500名)┣━ 6個空挺歩兵大隊─18個空挺歩兵中隊(6000名)┣━空挺砲兵連隊┬ 1個空挺軽榴弾砲大隊─ 3個空挺軽榴弾砲中隊(500名)┃ └ 2個空挺重迫撃砲大隊─ 6個空挺重迫撃砲中隊(1000名)┣━空挺防空連隊─ 3個空挺防空大隊─ 9個空挺対空機関砲中隊(1500名)┣━空挺対戦車連隊─ 3個空挺対戦車砲大隊─ 9個空挺対戦車砲中隊(1500名)┣━空挺工兵大隊─ 3個空挺工兵中隊(500名)┗━支援部隊―┬―――2個空挺補給大隊─ 6個空挺補給中隊(1200名) .└──40個グライダー中隊(1000名)計 (12700名+飛行隊1000名)『34年型空挺師団 各種車両等総数』T-20 468台45mm対戦車砲 120門PM-43 84門九四式山砲 36門イスパノ20mm四連 120基荷車 108台シュヴィムワーゲン 900台CG-13 480機【34年型砲兵旅団】(9800名、戦車兵288名、165万£)旅団司令部――───司令部大隊─────────── 3個司令部中隊(500名)┣━自走中榴弾砲連隊─ 3個自走中榴弾砲大隊─── 9個自走中榴弾砲中隊(1500名)┣━自走重榴弾砲連隊─ 3個自走重榴弾砲大隊─── 9個自走重榴弾砲中隊(1500名)┣━自走防空大隊────────────────── 3個自走防空中隊(500名))┣━装甲偵察大隊────────────────── 3個偵察中隊(500名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(500名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―─────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊──── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (9800名)『34年型砲兵旅団 各種車両等総数』T-34 12両PT-76 12両M7B2プリースト 108門M40 108門20mmシルカ 36両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台MT-LB 432両GMC CCKW 900台【34年型戦車旅団】(9900名、戦車兵1572名、143万£)旅団司令部――───司令部大隊───────── 3個司令部中隊(500名)┣━機械化歩兵大隊―――――────――――3個機械化歩兵中隊 (1000名)┣━戦車聯隊―――─――3個戦車大隊―────―9個戦車中隊 (1500名)┣━戦車聯隊―――─――3個戦車大隊―────―9個戦車中隊 (1500名)┣━軽戦車大隊――――――――――────― 3個軽戦車中隊 (500名)┣━突撃砲大隊――――――――――────― 3個突撃砲中隊 (500名)┣━自走榴弾砲大隊─────────┬─── 2個自走榴弾砲中隊(300名)┃ .└── 1個自走重榴弾砲中隊(200名)┣━自走防空大隊――──────――――――― 3個自走防空中隊 (500名)┣━装甲偵察大隊――――――――――───── 3個偵察中隊 (500名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(500名)┗━支援部隊――───― 4個装軌輸送大隊──── 12個装軌輸送中隊(2400名)計 (9900名)『34年型戦車旅団 各種車両等総数』T-34 228両PT-76 48両SU-85 36両M7B2プリースト 24門M40 12門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台MT-LB 792両【34年型野戦防空旅団】(8800名、129万£)旅団司令部――───司令部大隊───────── 3個司令部中隊(500名)┣━自走防空連隊───── 3個自走防空大隊─── 9個自走防空中隊(1500名)┣━牽引対空砲連隊────── 3個対空砲大隊──── 9個対空砲中隊(1500名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(500名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―─────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊──── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (8800名)『34年型野戦防空旅団 各種車両等総数』T-34 12両52-K85mm 108門20mmシルカ 84両40mmシルカ 36両MT-LB 504両GMC CCKW 900台【33・34年型歩兵大隊編制表】(大隊人員1000名、大隊単価9万£)歩兵大隊━┳━歩兵中隊━┳━歩兵小隊━┳━歩兵分隊(AKM、RPK、ドラグノフ、手榴弾等を装備) .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┃ .┃ .┗━軽機関銃分隊(PK軽機関銃 x 4) .┃ .┗━重火器小隊(M2HBQCB x 4、八九式重擲弾筒 x 4) .┗━火力中隊(BM-37 x 6)『33・34年型歩兵大隊 各種部隊火力』BM-37 6門M2HBQCB 12挺八九式重擲弾筒 12門PKM 36挺【36年型機械化歩兵師団】(20000名、戦車兵1656名、航空兵72名、622.5万£)師団司令部――─────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━3個戦闘団司令部─────────────―─ 3個司令部中隊(400名)┣━4個機械化歩兵大隊────────────12個機械化歩兵中隊(3200名)┣━2個重機械化歩兵大隊─────────── 6個重機械化歩兵中隊(1600名)┣━4個戦車大隊──────────────────12個戦車中隊(1600名)┣━浮航戦車大隊──────────────── 3個浮航戦車中隊(400名)┣━火炎放射大隊────────────── 3個火炎放射戦車中隊(400名)┣━自走榴弾砲連隊── 3個自走榴弾砲大隊─── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走ロケット砲大隊──────────── 3個自走ロケット砲中隊(400名)┣━重迫撃砲連隊─── 3個重迫撃砲大隊───── 9個重迫撃砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊──────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━戦闘工兵大隊──────────────── 3個戦闘工兵中隊(800名)┣━飛行大隊──────────────────── 3個飛行中隊(400名)┗━支援部隊―――――┬ 9個トラック大隊―─────27個トラック中隊(5400名) └ 3個装軌輸送大隊──── 9個装軌輸送中隊(1800名)計 (20000名)『36年型機械化歩兵師団 各種車両等総数』T-55 144両PT-76 36両OT-34 36両M109 108門BM-21 36門PM-43 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台BMP-1 216両MT-LB 1170両ウラル375-D 1350台Fi156C-5 36機【36年型戦車師団】(17200名、戦車兵2340名、航空兵72名、640.5万£)師団司令部――─────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━3個戦闘団司令部──────────────― 3個司令部中隊(400名)┣━3個重機械化歩兵大隊─────────── 9個重機械化歩兵中隊(2400名)┣━6個戦車大隊──────────────────18個戦車中隊(2400名)┣━2個火炎放射大隊───────────── 6個火炎放射戦車中隊(800名)┣━自走榴弾砲連隊─── 3個自走榴弾砲大隊── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走重榴弾砲大隊──────────── 3個自走重榴弾砲中隊(400名)┣━自走ロケット砲大隊──────────── 3個自走ロケット砲中隊(400名)┣━重迫撃砲連隊──── 3個重迫撃砲大隊──── 9個重迫撃砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊──────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━2個戦闘工兵大隊─────────────── 6個戦闘工兵中隊(1600名)┣━飛行大隊──────────────────── 3個飛行中隊(400名)┗━支援部隊―――――┬ 4個トラック大隊―─────12個トラック中隊(2400名) └ 4個装軌輸送大隊────12個装軌輸送中隊(2400名)計 (17200名)『36年型戦車師団 各種車両等総数』T-55 216両OT-34 72両M109 108門M110 36門BM-21 36門PM-43 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台BMP-1 324両MT-LB 996両ウラル375-D 600台Fi156C-5 36機【36年型空挺師団】(13800名、戦車兵252名、373.5万£)※輸送機部隊は別扱い師団司令部――────空挺司令部大隊───── 3個空挺司令部中隊(400名)┣━ 2個空挺歩兵連隊─ 6個空挺歩兵大隊─────18個空挺歩兵中隊(4800名)┣━軽戦車大隊────────────────── 3個軽戦車中隊(400名)┣━空挺対戦車大隊────────────── 3個空挺対戦車中隊(400名)┣━空挺重迫撃砲連隊─ 3個空挺重迫撃砲大隊─ 9個空挺重迫撃砲中隊(1200名)┣━空挺軽榴弾砲連隊─ 3個空挺軽榴弾砲大隊─ 9個空挺軽榴弾砲中隊(1200名)┣━空挺防空連隊──── 3個空挺防空大隊──── 9個空挺防空中隊(1200名)┣━対空砲大隊─────────────────── 3個対空砲中隊(400名)┣━空挺偵察大隊───────────────── 3個空挺偵察中隊(400名)┣━ 2個空挺戦闘工兵大隊─────────── 6個空挺戦闘工兵中隊(1600名)┗━空挺支援部隊――─ 3個空挺トラック大隊―─── 9個空挺トラック中隊(1800名)計 (13800名)『36年型空挺師団 各種車両等総数』ASU-85 36両ASU-57 36両T-20コムソモーレツ 654両PM-43 108門L118 108門20mm四連 72基40mm連装 36基MT-LB 36両52-K 85mm対空砲 36門シュヴィムワーゲンTyp 166 150台九七式側車付自動二輪車 150台ウラル375-D 450台【36年型海兵旅団】(7100名、戦車兵240名、航空兵72名、252.0万£)※揚陸艦は別旅団司令部――──────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━ 5個海兵大隊────────────────── 15個海兵中隊(4000名)┣━機械化混成揚陸大隊──┬───────── 1個重機械化歩兵中隊(300名)┃ ├─────────── 1個浮航戦車中隊(100名)┃ └─────────── 1個戦闘工兵中隊(300名)┣━海兵偵察大隊─────┬─────────── 1個偵察中隊(200名)┃ ├─────────── 1個戦車中隊(150名)┃ └─────────── 1個自走防空中隊(150名)┣━海兵砲兵大隊─────┬─────────── 2個重迫撃砲中隊(300名)┃ └─────────── 1個軽榴弾砲中隊(200名)┣━飛行大隊──────────────────── 3個飛行中隊(400名)┗━支援部隊――――─―┬─海兵輸送隊───── 1個装軌輸送中隊(200名) └─舟艇部隊──────── 4個舟艇中隊(400名)計 (7100名)『36年型海兵旅団 各種車両数等総数』PT-76 12両T-55 12両PM-43 24門L118 12門20mmシルカ 8両40mmシルカ 4両シュヴィムワーゲン 50台九七式側車付自動二輪車 50台BMP-1 36両MT-LB 158両Fi156C-5 36機大発 80艇特大発(T-55対応) 12艇【36年型砲兵旅団】(10400名、戦車兵144名、航空兵72名、444万£)旅団司令部――──────司令部大隊──────── 3個司令部中隊(400名)┣━自走榴弾砲連隊─── 3個自走榴弾砲大隊─── 9個自走榴弾砲中隊(1200名)┣━自走重榴弾砲連隊── 3個自走重榴弾砲大隊─ 9個自走重榴弾砲中隊(1200名)┣━自走ロケット砲連隊── 3個自走ロケット砲大隊─ 9個自走ロケット砲中隊(1200名)┣━自走防空大隊────────────────── 3個自走防空中隊(400名)┣━偵察大隊──────────────────── 3個偵察中隊(400名)┣━工兵大隊──────────────────── 3個工兵中隊(400名)┣━飛行大隊──────────────────── 3個飛行中隊(400名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―─────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊──── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (10400名)『36年型砲兵旅団 各種車両等総数』M109 108門M110 108門BM-21 108門20mmシルカ 24両40mmシルカ 12両シュヴィムワーゲン 150台九七式側車付自動二輪車 150台MT-LB 486両ウラル375-D 900台Fi156C-5 36機【36年型野戦防空旅団】(10400名、戦車兵864名、213.0万£)旅団司令部――──────司令部大隊────── 3個司令部中隊(400名)┣━ 2個自走防空連隊── 6個自走防空大隊───18個自走防空中隊(2400名)┣━ 2個対空砲連隊─── 6個対空砲大隊──── 18個対空砲中隊(1200名)┣━工兵大隊─────────────────── 3個工兵中隊(400名)┗━支援部隊―――――┬ 6個トラック大隊―────18個トラック中隊(3600名) └ 2個装軌輸送大隊─── 6個装軌輸送中隊(1200名)計 (10400名)『36年型野戦防空旅団 各種車両等総数』20mmシルカ 144両40mmシルカ 72両52-K 85mm対空砲 108門MT-LB 444両ウラル375-D 900台【36年型歩兵大隊編制表】(大隊人員800名、大隊単価18万£)歩兵大隊━┳━歩兵中隊━┳━歩兵小隊━┳━歩兵分隊(AKM、RPK、ドラグノフ、GP-25、各種手榴弾等を装備) .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┣━歩兵中隊 ┣━歩兵小隊 ┣━歩兵分隊 .┃ .┃ .┗━軽機関銃分隊(PK軽機関銃 x 4) .┃ .┗━重火器小隊(M2HBQCB x 4、八九式重擲弾筒 x 4) .┗━火力中隊(ZIS-3 x 6、L16 x 6)『36年型歩兵大隊 各種部隊火力』ZIS-3 6門L16 6門M2HBQCB 12挺八九式重擲弾筒 12門PKM 36挺